【 大相撲・花田家の研究4 】

大相撲の超人気エリート一家であった花田家の算命学的研究、第四弾。

「土俵の鬼」と謳われた第45代元横綱・初代若乃花は、「角界のプリンス」と呼ばれた先代・貴ノ花にとっては、22歳年上の兄である。若貴兄弟にとっては、叔父にあたる。

花田家の系譜については、さまざまな憶測やデマ?が飛び交っているので、ご興味ある方は検索してみてください。ここでは割愛。


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花田勝治(初代・若乃花幹士) 男性 1928年3月16日 

乙 乙 戊
卯 卯 辰


( 子丑 )天中殺  


 *** | 司禄星 | 天南星
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 貫索星 | 貫索星 | 龍高星
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 天禄星 | 貫索星 | 天禄星



「土俵の鬼」の名にふさわしく、どんなに踏まれても、どんなに折られても、必ず立ち上がる不屈の闘志の塊。

乙生まれであることは、末弟の貴ノ花(天将星2つ)や、甥たちと同じである。しかし「乙卯」は純粋な木の気で、天禄星を生じる。初代若乃花は、したたかさや粘り強さにおいて、他の乙生まれの家族たちより、ひときわ生命力が強く、しぶとく諦めない性質があるように見受けられる。

卯のイメージは、春の霞、ウサギの多産の象徴とも重ねられる。初代若乃花にまつわる数々の愛人や隠し子の暴露話や噂の数々も、命式に累々と重なり合う卯の並びを見ると、事実であっても不思議ではないように思われて仕方がない。


「貴乃花光司/大相撲・花田家の研究1」
http://sanmei.blog.jp/archives/77126874.html

「花田虎上(若乃花勝)/大相撲・花田家の研究2」
http://sanmei.blog.jp/archives/77127107.html

「貴ノ花利彰(初代貴ノ花)/大相撲・花田家の研究3」
http://sanmei.blog.jp/archives/77135176.html

「花田勝治(初代・若乃花幹士)/大相撲・花田家の研究4」
http://sanmei.blog.jp/archives/77135400.html

「花田景子(河野景子)/大相撲・花田家の研究5」
http://sanmei.blog.jp/archives/77150078.html

「藤田紀子(藤田憲子)/大相撲・花田家の研究6」
http://sanmei.blog.jp/archives/77150298.html

「花田優一/大相撲・花田家の研究7」
http://sanmei.blog.jp/archives/77156137.html


(たまき)

+++ 参考 +++

青森のリンゴ園農家に、10人兄弟の長男(上に姉が1人いた)として生まれる → 1934年の室戸台風のため作物が全滅、一家は破産状態で北海道室蘭に移住→戦争で傷痍軍人になった父に代わって、子供の頃から家計を支えるために力仕事をしながら、卓越した身体能力を発揮していた。危険な仕事をこなす中で何度も事故に遭い、何度も生死の境をさまよう経験をしていたという。

1946年(丙戌年)に上京して初土俵を踏む。(前年の1945年は大運二巡目スタートで、丁巳大運+乙酉年であった)1949年(己丑年)には十両へ昇進。1955年(乙未年)に大関へ昇進。室蘭の家族と自身の家族10人を養うこととなる。1956年(丙申年)には長男が不慮の事故で死亡。1957年(丁酉年)には、第45代横綱となる。昭和生まれで最初、かつ戦後に初土俵を踏んだ最初の横綱であった。

1951年5月場所~1960年3月場所のあいだ、栃錦との対戦は観客を熱狂させ「栃若時代」と呼ばれた。1962年(壬寅年)に引退し、二子山部屋を興す。弟子たちには、非常に厳しい指導を課す。弟子の中には、自身の末弟である初代・貴ノ花もいる。

1976年(丙辰年)相撲協会の理事に当選。1988年(戊辰年)に理事長に就任。角界の保守本流である出羽海一門が何人も就任した理事長に、「万年野党」と言われた二所ノ関一門のしかも傍流である二子山が理事長になったことは画期的なことだったという。

1992年(壬申年)1月場所、理事長として最後の場所で、甥であり孫弟子にあたる貴花田が初優勝し、理事長として天皇賜杯を孫弟子に授与。理事長の有終の美を飾った。

退職後は相撲博物館館長に就任するが、1996年(丙子年)二子山の譲渡金およそ3億円の申告漏れを指摘されたことで辞任し、相撲界から去った。

2010年(庚寅年)腎細胞癌のため死去。享年82歳。