小沢健二

1968.4.14

甲 丙 戊
寅 辰 申


(子丑)天中殺


 *** | 禄存星 | 天馳星
_______________

 鳳閣星 | 石門星 | 禄存星      
_______________

 天禄星 | 鳳閣星 | 天堂星 


伸び伸びと育つ木のような人
鷹揚さ、明るさ、安定感がある

若い頃は刹那的だが、年を取るにつれ盤石に

反骨精神のもとに周りを巻き込んで自分の楽しいことを体現していく
巻き込むのはファンも一緒
「誰もこんなことやったことない!!」ということを一緒にやって盛り上がってくれる魅力

人との縁を大切にする人なので、案外頼まれると引き受けちゃうかも
若い頃は何でも引き受けてしまうことに苦しさや反発もあっただろうけど、使いこなせるようになったのかな

ただ、見込みのないことはしない。そして人を見る目はシビア
その当たり、自分はどう見られて売っていくのがよいのか?イメージ戦略には相当力を入れている


来年(2020年)はライブツアーの発表もあったが、それも含めて精力的な活動が見込まれる
今年はそれに向けての序章という感じ
ファンの人は来年の小沢くんを絶対に見逃さない方がいい

2020、21年は子丑天中殺の時期にもあたるので、活動の盛り上がりは予想を越えるものになる
本人の行動意欲とも合わさるのでファンとしては楽しみ
逆に言うと、それ移行も同じペースを期待出来るかというとわからない

まず2020年の彼がどうなるのか楽しみにしています。


(甘夏)

まふまふ

まふまふ 1991.10.18 (男性)


辛 戊 辛
酉 戌 未


(子丑)天中殺


 *** | 貫索星 | 天堂星
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 貫索星 | 貫索星 | 車騎星      
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 天禄星 | 玉堂星 | 天南星



Twitterフォロワー数162万人(今日時点)を誇る歌い手。
作曲家、作詞家。エンジニアなどもこなすマルチな才能を持つ。

研ぎ澄まされたセンス、こだわりの美意識の持ち主。
そしてそれをどこまでも、だれに何と言われようが貫き通せるストイックな根性の持ち主。
フロンティア精神の塊のような人で、だからこそ今の地位を築くことができたのであろう。完璧主義というくらい努力や勉強を重ねているはず。


2010年からニコニコ動画で活動を開始。1stアルバムを出した2012年は本人にとっての喜神である壬の年で調舒星が回り表現活動にはピッタリ。2014年からの10年は禄存星大運で、多くの人を喜ばす10年となるであろう。
2020年はますます創作活動、表現活動に力が入る1年になりそう。
2024年からはさらにワンランクアップした姿が期待できそう。
(あんこ)

福田萌

1985.6.5

乙 辛 乙
亥 巳 丑

(申酉)天中殺

***|貫索星|天堂星
___________
玉堂星|調舒星|禄存星
___________
天極星|車騎星|天恍星

ミス横国大2006に選出されるほか、
ミスオブミスキャンパスクイーンコンテスト2006では審査員特別賞を受賞。
大学在学時よりTV番組にお天気お姉さんとして出演し始める。
出演して間もなく「腹黒キャラ」として番組内でのポジションを確立。
中心星調舒星が東の禄存星を生じていることから、
番組の中で自分が求められている役割を見極めることに長けているのではないかと思われる。
現在はママタレントとして活躍中。

(ゆきの)

中田敦彦

1982.9.27

癸 己 壬
丑 酉 戌

(寅卯)天中殺


***|石門星|天堂星
___________
車騎星|龍高星|牽牛星
___________
天南星|車騎星|天胡星


芸人「オリエンタルラジオ」として2005年にリズムネタ「武勇伝」をひっさげてブレイク。
ちょうど龍高星・天将星大運から石門星・天禄星大運への切り替わりのタイミングであった。

またこれ以外にも雑学やクイズ、ダンスや文筆業など芸人の枠に留まらぬ多才ぶりは、
東・西・南の三方から生じられる中心の龍高星からあふれ出るものであろう。

(ゆきの)

三浦 雄一郎

1932.10.12

丙 庚 壬
午 戌 申 


(寅卯)天中殺


 *** | 車騎星 | 天胡星
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 調舒星 | 司禄星 | 鳳閣星      
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 天将星 | 禄存星 | 天庫星 


プロスキーヤー・登山家・冒険家

世界最年長エベレスト登頂記録保持者
現在86歳。
来年1月、南米アコンカグアへの登頂へ挑戦する。

山焼けをした照りのある顔が、丙(太陽)そのものに見える。
丙午で生命力に溢れ、高齢になってからの活躍も頷ける。かつ晩年期天将星で、勢いが衰えない。
79歳から天将星大運も回っており、むしろ勢いが増しているのでは。

粘り強く何事も諦めない、世話好きで人に好かれる人物。
人脈作りや金策に長け、計画的に自分の好きなことを遂行していく。


こども時代は病弱だったそうで、初年期の天胡星を消化している。
20代に日本アマチュアスキー界を永久追放され、スキー教室を営む傍らプロスキーヤーへ。
1970年エベレストから、1985年アコンカグアまで、15年かけて世界七大大陸最高峰全峰からの滑降を達成。
それからは現役を退いていたが、65歳で70歳エベレスト登頂の目標をたてトレーニングを再開。

見通しのない冒険ではなく、着実に手堅く達成へ向けて上り詰めて行く。
そのためには努力もするが、使えるものは何でも使うという割り切りがある。


(甘夏)



南谷 真鈴

1996.12.20

辛 庚 丙
卯 子 子 


(午未)天中殺


 *** | 牽牛星 | 天貴星
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 禄存星 | 鳳閣星 | 鳳閣星      
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 天馳星 | 石門星 | 天貴星 



登山家・冒険家
2016年、早稲田大学2年在学中に七大大陸最高峰制覇を達成したことで注目を集める。

自分が輝く姿をみて欲しい人。
自分が面白いことに素直で、それが見ている人にも良く伝わり、巻き込む力がある。
登山資金は、自分で企業にアプローチし援助を取りつけた。

記録をうちたてた2016年は、牽牛星天将星がまわっていた。(大運は玉堂星天南星大運)
輝かしい記録を作るには、ぴったりの年だったのではないか。

記録すらも、
「それみたことか♪」
とおどけながら、飄々と冒険に繰り出し、その美しい姿をみせて欲しいと願う。
彼女の興味の赴くままに。


(甘夏)
             


花田優一/大相撲・花田家の研究6

【 大相撲・花田家の研究7 】

大相撲の超人気エリート一家であった花田家の算命学的研究です。先代若乃花、先代貴乃花からはじまって、一家の命式を比べると、「花田家」という名の通り、驚くくらいに乙木が多く目立ちます。

ただ一人違った要素をお持ちなのが、先代貴乃花の妻であった藤田紀子さんでしたが、貴乃花光司氏の長男である花田優一さん(靴職人)もまた違った形で、乙だらけの花田家で異彩を放つようです。

*** *** ***

花田優一 男性 1995年9月27日 
第65代横綱・貴乃花の長男

辛 乙 乙
酉 酉 亥


( 子丑 )天中殺  


 *** | 禄存星 | 天恍星
_______________


 貫索星 | 貫索星 | 調舒星
_______________


 天禄星 | 禄存星 | 天禄星



乙だらけの花田家の中で、異彩を放つ長男。乙(花)にとっては、もっとも苦手な相手といえる辛(ハサミや小刀)の中でも、陰の力が強く、もっともシャープな切れ味である辛酉日生まれである。スタイリッシュでプライドが高く、頭の回転が早い。古来より「辛酉」は革命をあらわすとも言われ、ものごとをはっきりさせ、曲がった事を嫌う。

父の生まれ日であり、父と母の共通干支である「乙亥」の年の、祖父の生まれ日と同じ乙酉の月に生まれている。家族の中に深い繫がりがあり、そんなことはわざわざ占わなくてもわかることではあるが、この家族に生まれたことは、優一氏にとって非常に大きな意味と影響を及ぼしているであろうことが容易に想像できる。

現在の肩書きは「靴職人」とのことだが、マニアックで専門的な技能を身につけて、じっくりと長い時間をかけて熟成していくことが似合う生まれである。もともと人気運にもたいへん恵まれてはいるものの、それは親の七光りに過ぎない。一過性の芸能人のようにメディアに露出するよりは、将来に向けて、ご自身の技能やセンスを磨くことに意識を集中したほうが良いように思われる。

26歳(2021年)が、一つの大きな転機の年。そこからの10年は、壬午(調舒星)大運なので、一般受けするようなタレント業より、さらにコアな分野での活躍が望まれる。強力な初代運の生まれでもあるので、親や周囲の言いなりになる必要はない。社会的に有名で影響力の強い家族の一員としてのプレッシャーに負けず、独自の人生を力強く切り開いていくのがよく似合う。


「貴乃花光司/大相撲・花田家の研究1」
http://sanmei.blog.jp/archives/77126874.html

「花田虎上(若乃花勝)/大相撲・花田家の研究2」
http://sanmei.blog.jp/archives/77127107.html

「貴ノ花利彰(初代貴ノ花)/大相撲・花田家の研究3」
http://sanmei.blog.jp/archives/77135176.html

「花田勝治(初代・若乃花幹士)/大相撲・花田家の研究4」
http://sanmei.blog.jp/archives/77135400.html

「花田景子(河野景子)/大相撲・花田家の研究5」
http://sanmei.blog.jp/archives/77150078.html

「藤田紀子(藤田憲子)/大相撲・花田家の研究6」
http://sanmei.blog.jp/archives/77150298.html

「花田優一/大相撲・花田家の研究7」
http://sanmei.blog.jp/archives/77156137.html

(たまき)

藤田紀子(藤田憲子)/大相撲・花田家の研究6

【 大相撲・花田家の研究6 】

大相撲の超人気エリート一家であった花田家の算命学的研究です。一家の命式を比べると、「花田家」という名の通り、驚くくらいに乙木が多く目立つけれど、これはいったいなに?!という発見からスタートしました。

*** *** ***

藤田紀子(藤田憲子) 女性 1947年9月7日 
花田虎上、貴乃花光司の母

己 戊 丁
丑 申 亥


( 午未 )天中殺  


 *** | 龍高星 | 天報星
_______________


 貫索星 | 調舒星 | 司禄星
_______________


 天庫星 | 石門星 | 天恍星



乙だらけの花田家の中で、まったく違う己の人。花田家の人たちが、たくさんの花を大きく咲かせるための大地としての己であったといえるが、なんでも清濁合わせのみ、なんでも受け入れる懐の深さ(得体のしれなさともいえる)が己の特徴でもある。

若い頃は大部屋女優だったとのこと、女優としては大成しなかったけれども、生まれつきの美貌と頭の回転の速さで、さまざまな相手を引き寄せて受け入れ、場所を作り育てるという資質を大いに生かした人生であろう。人の心の秘密に触れやすく、様々な人に相談されることも多いだろう。相撲部屋のおかみさんとして、長くたくさんの弟子たちを育て上げたことは素晴らしい業績である。

柔らかく笑顔で優しく人を受け入れるようで、鋭く激しく相手の本質を見抜く神経質さがあり、ついつい本当のことを言いすぎるので、多くの男性にとっては思い通りにならない手強い相手ともいえるだろう。。調舒星=傷官美人、という言葉がよく似合う人である。


「貴乃花光司/大相撲・花田家の研究1」
http://sanmei.blog.jp/archives/77126874.html

「花田虎上(若乃花勝)/大相撲・花田家の研究2」
http://sanmei.blog.jp/archives/77127107.html

「貴ノ花利彰(初代貴ノ花)/大相撲・花田家の研究3」
http://sanmei.blog.jp/archives/77135176.html

「花田勝治(初代・若乃花幹士)/大相撲・花田家の研究4」
http://sanmei.blog.jp/archives/77135400.html

「花田景子(河野景子)/大相撲・花田家の研究5」
http://sanmei.blog.jp/archives/77150078.html

「藤田紀子(藤田憲子)/大相撲・花田家の研究6」
http://sanmei.blog.jp/archives/77150298.html

「花田優一/大相撲・花田家の研究7」
http://sanmei.blog.jp/archives/77156137.html


(たまき)

花田景子(河野景子)/大相撲・花田家の研究5

【 大相撲・花田家の研究5 】

大相撲の超人気エリート一家であった花田家の算命学的研究です。一家の命式を比べると、「花田家」という名の通り、驚くくらいに乙木が多く目立つけれど、これはいったいなに?!という発見からスタートしました。

*** *** ***

花田景子(河野景子) 女性 1964年11月12日 
元フジテレビのアナウンサー。第65代横綱、貴乃花光司の妻

乙 乙 甲
丑 亥 辰


( 戌亥 )天中殺  


 *** | 石門星 | 天南星
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 龍高星 | 石門星 | 貫索星
_______________


 天堂星 | 貫索星 | 天極星


* 生月中殺

しっとりと控えめに見えても、内面は非常に意志が強く簡単なことでは動じない芯の強い女性。他人は他人、自分は自分と達観したクールな見方をする人である。相撲部屋に住み込みではなく、通いでおかみさん業を続けるなど、マイペースで自分の軸を曲げない行動からもそのことは窺い知れる。

また、実際の人生や生活の中では、どんな人と関わるかが非常に大きなポイントとなる。唯我独尊でオレ様的なマイペースな男性を好み、配偶者には途方もない破天荒な夢を求めがちなので、貴乃花は理想的な相手だったのかもしれない。

生まれ日が乙なのは貴乃花と同じのうえ、生まれ月の乙亥は貴乃花の日干支と同じでもある。共通干支がある関係は、お互いに親しみや親近感が生まれやすいうえに、貴乃花とは生月中殺の生まれであることも同じで、相撲部屋のような一般社会とは異なる特殊な世界を一緒に生きるには良い組み合わせと思われる。

2019年は禄存星大運中の禄存星の年となる(己巳大運×己亥年)。芸能界への復帰や事業の大きな展開などが見込まれる。(このタイミングでの離婚もありうるのでは?とおもうが、そうそう簡単に別れる人ではないだろう)

「貴乃花光司/大相撲・花田家の研究1」
http://sanmei.blog.jp/archives/77126874.html

「花田虎上(若乃花勝)/大相撲・花田家の研究2」
http://sanmei.blog.jp/archives/77127107.html

「貴ノ花利彰(初代貴ノ花)/大相撲・花田家の研究3」
http://sanmei.blog.jp/archives/77135176.html

「花田勝治(初代・若乃花幹士)/大相撲・花田家の研究4」
http://sanmei.blog.jp/archives/77135400.html

「花田景子(河野景子)/大相撲・花田家の研究5」
http://sanmei.blog.jp/archives/77150078.html

「藤田紀子(藤田憲子)/大相撲・花田家の研究6」
http://sanmei.blog.jp/archives/77150298.html

「花田優一/大相撲・花田家の研究7」
http://sanmei.blog.jp/archives/77156137.html


(たまき)

花田勝治(初代・若乃花幹士)/大相撲・花田家の研究4

【 大相撲・花田家の研究4 】

大相撲の超人気エリート一家であった花田家の算命学的研究、第四弾。

「土俵の鬼」と謳われた第45代元横綱・初代若乃花は、「角界のプリンス」と呼ばれた先代・貴ノ花にとっては、22歳年上の兄である。若貴兄弟にとっては、叔父にあたる。

花田家の系譜については、さまざまな憶測やデマ?が飛び交っているので、ご興味ある方は検索してみてください。ここでは割愛。


*** *** ***

花田勝治(初代・若乃花幹士) 男性 1928年3月16日 

乙 乙 戊
卯 卯 辰


( 子丑 )天中殺  


 *** | 司禄星 | 天南星
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 貫索星 | 貫索星 | 龍高星
_______________


 天禄星 | 貫索星 | 天禄星



「土俵の鬼」の名にふさわしく、どんなに踏まれても、どんなに折られても、必ず立ち上がる不屈の闘志の塊。

乙生まれであることは、末弟の貴ノ花(天将星2つ)や、甥たちと同じである。しかし「乙卯」は純粋な木の気で、天禄星を生じる。初代若乃花は、したたかさや粘り強さにおいて、他の乙生まれの家族たちより、ひときわ生命力が強く、しぶとく諦めない性質があるように見受けられる。

卯のイメージは、春の霞、ウサギの多産の象徴とも重ねられる。初代若乃花にまつわる数々の愛人や隠し子の暴露話や噂の数々も、命式に累々と重なり合う卯の並びを見ると、事実であっても不思議ではないように思われて仕方がない。


「貴乃花光司/大相撲・花田家の研究1」
http://sanmei.blog.jp/archives/77126874.html

「花田虎上(若乃花勝)/大相撲・花田家の研究2」
http://sanmei.blog.jp/archives/77127107.html

「貴ノ花利彰(初代貴ノ花)/大相撲・花田家の研究3」
http://sanmei.blog.jp/archives/77135176.html

「花田勝治(初代・若乃花幹士)/大相撲・花田家の研究4」
http://sanmei.blog.jp/archives/77135400.html

「花田景子(河野景子)/大相撲・花田家の研究5」
http://sanmei.blog.jp/archives/77150078.html

「藤田紀子(藤田憲子)/大相撲・花田家の研究6」
http://sanmei.blog.jp/archives/77150298.html

「花田優一/大相撲・花田家の研究7」
http://sanmei.blog.jp/archives/77156137.html


(たまき)

+++ 参考 +++

青森のリンゴ園農家に、10人兄弟の長男(上に姉が1人いた)として生まれる → 1934年の室戸台風のため作物が全滅、一家は破産状態で北海道室蘭に移住→戦争で傷痍軍人になった父に代わって、子供の頃から家計を支えるために力仕事をしながら、卓越した身体能力を発揮していた。危険な仕事をこなす中で何度も事故に遭い、何度も生死の境をさまよう経験をしていたという。

1946年(丙戌年)に上京して初土俵を踏む。(前年の1945年は大運二巡目スタートで、丁巳大運+乙酉年であった)1949年(己丑年)には十両へ昇進。1955年(乙未年)に大関へ昇進。室蘭の家族と自身の家族10人を養うこととなる。1956年(丙申年)には長男が不慮の事故で死亡。1957年(丁酉年)には、第45代横綱となる。昭和生まれで最初、かつ戦後に初土俵を踏んだ最初の横綱であった。

1951年5月場所~1960年3月場所のあいだ、栃錦との対戦は観客を熱狂させ「栃若時代」と呼ばれた。1962年(壬寅年)に引退し、二子山部屋を興す。弟子たちには、非常に厳しい指導を課す。弟子の中には、自身の末弟である初代・貴ノ花もいる。

1976年(丙辰年)相撲協会の理事に当選。1988年(戊辰年)に理事長に就任。角界の保守本流である出羽海一門が何人も就任した理事長に、「万年野党」と言われた二所ノ関一門のしかも傍流である二子山が理事長になったことは画期的なことだったという。

1992年(壬申年)1月場所、理事長として最後の場所で、甥であり孫弟子にあたる貴花田が初優勝し、理事長として天皇賜杯を孫弟子に授与。理事長の有終の美を飾った。

退職後は相撲博物館館長に就任するが、1996年(丙子年)二子山の譲渡金およそ3億円の申告漏れを指摘されたことで辞任し、相撲界から去った。

2010年(庚寅年)腎細胞癌のため死去。享年82歳。

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